【禅語とエネルギー】蓮出汚泥(はすはおでいよりいず):どんなに悪い環境でも、清く美しく育つものは育つ

「どんなに悪い環境でも、清く美しく育つものは育つ」
という意味合いを持つ『蓮出汚泥(はすはおでいよりいず)』という禅語。

「蓮は汚泥の中で育つが、それでも美しい花をつける」
ということですが、
これは人にも言えることですよね?

意識がすべてを変える

蓮のように人も環境とか境遇は関係なく、
きちんと結果を出せるように成長することができます。

ただ、環境や境遇によって強い刺激を受けすぎていることで
エネルギーが枯渇状態だから全てをネガティブに考え、
成長しようとか考えられない!
なんてことになってしまうのは仕方ないと言えば仕方ないことです。

ですが、それでも
「きちんと結果を出そう!」
「今の現状から抜け出そう!」
と前向きに考えたかどうかで、
行く先は大きく異なってくるのは間違いありません。

環境や境遇のせいにするのは簡単ですが、
環境や境遇のせいにしたところで
人生が良くなっていくわけではありませんから。

むしろ、
「環境や境遇のせいで今がある!」
と考えることで、その意識が強くなり、
現状を変えようとすることはなくなってしまいます。

そのため、ずっと現状維持か、悪化していく一方です。

正直これってかなり酷な話だなぁ、と思うんですよ。

かなりつらい境遇の中で育った結果、
エネルギーがなくなってしまい、何事にも絶望してしまった
なんてことは容易に考えられますから。

エネルギーレベルで言えば
レベル1のネガティブループ状態になってしまいます。

このエネルギーレベル1の状態まで行くと、
成長とかそんなことは放り出して
まずはエネルギー回復に専念する必要があります。

環境や境遇というのは影響がものすごく強いし、
小さい頃からずっと不遇な状態である可能性もあります。

小さい頃から続いていることだから、
そこから抜け出すのはものすごく大変ですが、
それでも抜け出そうと思わないと抜け出すことはできません。

現状から抜け出せるかどうかは
結局は自分次第という酷な現実があるのです。

すべては自己責任ってどうなのよ?

よく自己啓発で
「すべては自己責任」
なんて言われています。

これについては僕も同意するんですが、
この言葉だけだとかなり乱暴な言い方な気がするんですよね。

環境や境遇は大きな影響を与えるため、
不遇な家庭環境で育ったことも自己責任か?
と言われると、それは当然違います。

家庭は選べませんから。

ですが、その後の判断を選ぶことはできます。

その判断については自己責任と言えます。

自分で判断した結果なのですから、
自分以外に責任を取る人はいませんから。

ただ、不遇な家庭環境で育ってきて、
それでも、
「現状を変えよう!」
なんていうエネルギーが残っている人は
なかなかいないのではないかと。

多くはエネルギーを枯渇してしまっているから、
自分自身で行動するという気力がなくなってしまいます。

それに対して、
「現状を打破しようとしないから今の現状があるんだよ!」
なんて言葉はかなり乱暴ではないかと。

現状を打破したいとは思っていても、
現状を打破しようという気力が生まれてこないこともよくあります。

その理由が
「これまでずっとエネルギーを奪われ続けている人生であり、
 エネルギーが残っていないから」
であれば、自己責任論で語るのはかなり酷だと思います。

つまり、自己責任論は
「ある程度エネルギーが残っている場合に有効な考え方」
と言えます。

エネルギーが残っていれば自己責任論はとても有効

エネルギーが残っていれば
自己責任論はとても有効です。

というのも、
「自己責任と考えれば、物事をコントロールできる幅が広がる」
からです。

例えば、
「上司が理不尽に怒ってくる」
という場合。

理不尽に怒られていることに対してそのまま反応してしまうと
感情的になってイライラが発生してしまい、
エネルギー漏れが起きてしまいます。

ですが、これを自己責任と考えることができれば、
「理不尽に怒られているのは、
 上司との関係性をきちんと築けていないからかもしれない」
などと考え、良い関係性を築けるように行動していくことも可能です。

もしくは、
「理不尽に怒っているように見えるけど、
 実はきちんと理由があるのかもしれない」
と考えれば、その理由を観察し、見つけ出せるかもしれません。

そこで、自分の能力不足だとわかれば、
能力を向上していけばよいのですから。

そのように、自己責任と考えることで、
自分自身でコントロールできる幅が広がり、
前向きに問題を解決していくことができます。

なので、エネルギーが残っている状態であれば、
自己責任論はものすごく有効なのです。

逆にエネルギーが残っていない場合に自己責任論で考えることは
かなり酷なことです。

エネルギーが残っていない状態であれば、
自己責任論で考えようとしても、

「そんなの自分には無理!」
「自己責任と言えるのはあなたたちの境遇が良かっただけ」
「今の状況は自分のせいではない!」
などと感情的になってしまい、反発してしまいます。

だから、エネルギーが大きく下がっているときは
自己責任論で考えることでむしろエネルギーが漏れてしまうのです。

なので、エネルギーが大きく下がっているときは
自己責任論で考えることはやめ、
まずはエネルギーを回復することに専念することが大切だと言えます。

自己責任論はエネルギーがある程度高まり、
「確かに自己責任だと考えることでコントロールできる幅が広がり、
 自分の人生をより良くしていけるな」
と考えることができたら、自己責任論を使えば良いかと思います。

そう考えられないときはエネルギーを回復させて、
少しずつエネルギーを前向きに注ぐリハビリをし、
エネルギーを高めていくこと。

そうすることで、
少しずつ考え方が変わり、
現状から抜け出すためのエネルギーを作り出していくことができます。

エネルギー管理を大切に

『蓮出汚泥』の
「どんなに悪い環境でも、清く美しく育つものは育つ」
という考え方は素晴らしい考え方だと思いますが、
エネルギーが枯渇してしまっている状態だと
美しく育つことは難しいです。

エネルギーが枯渇してしまっている状態だと
視野が狭くなっているし、
感情的になってしまいやすいから、
どうしても現状を変えるという発想になりづらいからです。

常にエネルギーの状態を意識して、
エネルギーが低くなればしっかり回復に専念する。

エネルギーが高まれば、
そのエネルギーを使ってさらにエネルギーを高めていく。

そうやって、エネルギー管理をきちんとすることで、
エネルギーが枯渇することが減ってくるため、
「どんなに悪い環境でも、清く美しく育つものは育つ」
なんて言葉を実現していくことができます。

なので、
「どんなに悪い環境でも理想の未来を掴み取っていくためには
 エネルギー管理をしっかり行うことが大切」
と言えるでしょう。

まとめ

  • 「現状を変えたい!」という意識がすべてを変える
  • 自己責任論はエネルギーがある程度高まってから用いると良いスパイラルが発生する
  • 理想の未来を掴み取っていくためにもエネルギー管理はしっかりと!

今回は「悪い環境でも理想の未来を手に入れられる」ことにフォーカスしましたが、
「悪い環境だからこそ理想の未来を手に入れられる」という考え方もできます。

悪い環境だからこそ、
「現状を変えていきたい!」と強く意識することができ、
それが現状を変えていくための強いエネルギーとして
使っていくことができますから。

僕の場合も
「もう会社に勤めることはできないだろうから、
 一人で生きていく術を身に着けよう!」
と思って今がありますからね。

なので、会社にはつらい思い出が多いですが、
意識を変えてくれた会社に感謝しています。

このように、
エネルギーが意識を強くしてくれるだけでなく、
意識もエネルギーを高めてくれるのです。

なので、悪い環境に感謝してみることで、
意識を強くして、エネルギーを高めてみるのもありですね。

お試しあれ。

それでは、ありがとうございました!

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