【禅語とエネルギー】雲無心(くもむしん):何事にもとらわれない自由な様

何事にもとらわれずに自由に生活する
『雲無心(くもむしん)』
についてです。

『雲無心』とは書いていますが、実際には

『雲無心而出岫』
→ 雲無心にして岫(しゅう)を出(い)ず

とちょっと長めのものだったりします。

雲無心は
「雲は無心だから何事にもとらわれずに自由だよね」
といった意味に捉えられます。

そんな雲のように
イライラとか不安が出てきても、
そのまま放っておいて特に気にしなければ
何事にもとらわれなくなり気持ちが楽になります。

これって前回記事にした『柔軟心』にも繋がるところがあるように思いませんか?

柔軟心(にゅうなんしん):物事にとらわれない柔軟な心
【禅語とエネルギー】柔軟心(にゅうなんしん):物事にとらわれない柔軟な心

雲無心と柔軟心

雲のように無心でいること。

これを聞いた反応って人それぞれだと思うんですよ。

「雲のように無心?
 それは雲だからできることであって、人には無理でしょ」

「雲ってたしかに無心だろうし、それを見習ってみようかな」

なんて2つの反応を考えてみると、
前者は考え方が凝り固まっていて、
後者は考え方が柔軟なように感じませんか?

前者であればなかなか物事を受け入れませんが、
後者であれば物事を受け入れやすいはずです。

つまり、
『雲無心』という言葉を受け入れるためには
まずは『柔軟心』を養っていかなければいけないんですよね。

さらに、『雲無心』は「禅語とエネルギー」で一番最初に書いた
『放下著』にも繋がってきます。

放下著(ほうげじゃく):すべてを捨ててしまえ
【禅語とエネルギー】放下著(ほうげじゃく):すべてを捨ててしまえ

雲無心と放下著

『放下著』とは
「すべてを捨ててしまえ」
といった意味合いであり、
「すべての執着を捨ててしまえ」
と言い換えてもいいでしょう。

すべての執着を捨てることができれば、
雲のように無心でいることができますよね?

イライラとか不安が出てきても放っておくどころか、
執着自体がなくなるので、
イライラや不安自体が生まれることがなくなります。

それが執着を完全に手放した状態と言えます。

ただ、本当に完全に執着を手放した場合は
悟りを開いたとも言えることなので、
完全に手放す必要があるかどうかは人によるとは思いますが。

執着を本当の意味で完全に手放すと
全てを同列のものと扱うことになります。

そうなると、大事な人という概念すらなくなり、
大事な人とそこらへんにある石ころを同列に考えるといったようになります。

でも、僕としては大事な人は大事な人として関わりたいから
本当の意味で完全に執着を手放したくはないなぁ、と思っています。

なので、よく使う
「執着を完全に手放した状態」
というのは、執着によってマイナスの感情が浮かぶとか、
自分にとって必要ないと感じた執着を手放していくということです。

自分にとって必要ないというのが大事で、
例えば大切な人とケンカしてしまったなどで
イライラしてしまうことってあると思うんですよ。

そういうときに
「大切な人への執着を手放そう!」
とは思わないですよね?

おそらく、
「このイライラの原因となっている執着を手放そう!」
となるかと思います。

「目玉焼きに何をかけるかでケンカしてしまった…」
なんてことがあったら、
「目玉焼きに何をかけるかなんて人それぞれだよね。
 私が使う調味料が絶対だなんていう執着は捨てよう」
みたいに。

そうやって執着を捨てることで
物事をあまり気にする必要がなくなります。

それによって、無心になることができる、とも言えます。

なので、無心になるためには
執着を手放す必要があると言えるのです。

雲無心と柔軟心と放下著

こうやって考えてみると、
まず始めに柔軟な心を持ち、
柔軟に考えることで執着を捨て、
執着を捨てることで無心になれるという流れかなと。

つまり、

『柔軟心(柔軟な心)』
 ↓ ↓ ↓
『放下著(執着を捨てる)』
 ↓ ↓ ↓
『雲無心(何事にもとらわれない)』

という流れに。

始まりは柔軟な心を持つことから。

柔軟な心を持つことができれば、
執着を捨てることを意識してみる。

執着を捨てることができたかどうかは
何事にもとらわれない無心な心でいれるかどうかで確認。

ということになりますね。

雲無心と柔軟心と放下著は
つらいと感じている世の中から抜け出すために必要な考え方だと言えるので、
この流れを意識して身につけていっちゃいましょう!

まとめ

  • 柔軟な心を持つ(柔軟心)
  • 執着を捨てる(放下著)
  • 何事にもとらわれない心を持つ(雲無心)

記事の途中で
「目玉焼きに何をかけるかで喧嘩してしまった…」
なんて書きましたけど、
これでケンカする人は意外といるみたいなんですよね。

家庭環境の違いというのはどうしても出てきてしまうものなのですが…。

ただ、目玉焼きに何をかけるか論争でケンカしてしまうかどうかは
 ・無心になれるか?
 ・執着心を手放せるか?
 ・相手を受け入れられる柔軟性があるか?
といった自分と相手を知るための一つの指標にすることができます。

そうやって、色んな出来事を
自分や周りを知るための指標、
そして自分を成長させるためのものと考えると
楽しいことが増えていきますよね。

日々、
「これは何を知れるかな?」
「これは自分をどのように成長させてくれるかな?」
なんて考えながら、楽しい毎日を過ごしちゃいましょう!

それでは、ありがとうございました!

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